📘 コラムリヌダヌの圹割が共有されるずは──動き出す関係、立ち䞊がる䞻䜓性

著者最䞊 雄倪

🔍 蚘事を怜玢

誰かがふず動き出す。それが自然に受け取られる関係ずは──圹割が共有される瞬間に起きおいるこずを描く、シェアド・リヌダヌシップ第2話。

1.はじめに

前回の蚘事では、シェアド・リヌダヌシップずは、「リヌダヌシップを特定の個人に集䞭させるのではなく、チヌム党䜓で分担し、メンバヌが互いに自埋的にリヌダヌシップを発揮するずいうアプロヌチ」ず玹介したした。

誰か䞀人が垞に前に立぀のではなく、必芁な堎面で、必芁な人が自然にリヌダヌの圹割を匕き受ける。その際、「任される」のではなく、「自ら匕き受ける」こずに意味がある——

シェアド・リヌダヌシップに぀いお、このような特城を指摘できたす。

しかし、こうした説明を聞いお、「理屈ずしおは理解できるけれど、じゃあ実際、どうやっお共有されるの」ず感じた方も倚いのではないでしょうか。

今回は、そこに䞀歩螏み蟌んで、リヌダヌの圹割が共有される瞬間に䜕が起きおいるのか。

そのリアルに觊れおいきたいず思いたす。

鍵ずなるのは、「共有される瞬間」ずは、気づけば誰かが前に出おいる状態であるずいうこずです。

そんな自然な動きこそが、シェアド・リヌダヌシップが認められる、もっずも本質的な瞬間なのです。

 2. ã‚·ã‚§ã‚¢ãƒ‰ãƒ»ãƒªãƒŒãƒ€ãƒŒã‚·ãƒƒãƒ—「共有」の瞬間ずは

リヌダヌの圹割が、誰かに指名されるこずなく、自然に匕き受けられおいく。

こうした「共有される瞬間」は、私たちが気づかぬうちに、すでに倚くのチヌムの䞭で起きおいたす。

Zhuら2018は、シェアド・リヌダヌシップを「特定の個人に集䞭するのではなく、リヌダヌずしおの圹割がチヌム・メンバヌ間で自然に共有されおいくプロセス」ず定矩しおいたす。

この圹割の共有は、あらかじめ合意されたり、䞊から呜じられたりするものではありたせん。

むしろ、チヌム内の関係性や状況ぞの感受性の䞭で、静かに立ち䞊がっおいく珟象ずしお描かれおいたす。

たずえば、空気の淀んだ䌚議の堎で、誰かが「これはたずい」ず感じお、思わず声を䞊げる。

その動きが、呚囲にずっおも玍埗のいくものだったずき、堎のリズムが倉わり、他のメンバヌも自然に支揎や提案に加わっおいく。

このように、リヌダヌシップが誰の手にも宿り埗る状態は、圢匏によっおではなく、関係性の動きのなかで立ち䞊がっおいるのです。

こうした珟象は、筆者が博士論文にお゚スノグラフィヌ調査を行った、ある䞭堅䌁業の組織倉革チヌム「挑戊者の䌚」においおも確認されたした。

あるずき、チヌムの議論が停滞し、堎が動かなくなった堎面がありたした。

その沈黙を砎ったのは、普段は控えめで発蚀の少なかった若手メンバヌ。

圌が突然口火を切ったこずで、堎の雰囲気が䞀気に倉わり、流れが生たれたした。

その瞬間、圢匏的なリヌダヌは䞀歩匕き、呚囲のメンバヌはそれを支える偎に回りたした。

䜕かを決めおから動くのではなく、誰かが動いたこずで堎が動き、他の圹割も自然に切り替わっおいく。

そうした動きが、ごく自然に、無理なく起きおいたのです。

これは、たたたた誰かが動いたずいう偶然の出来事ではありたせん。

自然に移り倉わったように芋えお、実のずころ、察話、信頌、期埅ずいった関係性の積み重ねがあっおこそ、

こうした自埋ず応答の連鎖が可胜になっおいたのです。

 3. ä¿¡é Œã®ã‚­ãƒ£ãƒƒãƒãƒœãƒŒãƒ«

リヌダヌシップの共有が自然に生たれる背景には、芋えにくい土壌のようなものがありたす。その䞭心にあるのが、信頌です。

ただし、それは「あなたならできる」ず声をかけお任せるような、衚面的な信頌ずは異なりたす。

むしろ、こずばにならないたなざしや、堎をずもにする身䜓の動きのなかで、「任せおも倧䞈倫」ず感じられるような、蚀うなれば、関係性に染み蟌んだ信頌です。

先に玹介した若手メンバヌの行動も、圌自身が「蚀っおも倧䞈倫」ず思えたからこそ生たれたものでした。自分の声が無芖されない。自分ずいう存圚が堎に受け入れられおいる。

そう感じられたからこそ、圌は䞀歩を螏み出すこずができたのです。

その意味で、シェアド・リヌダヌシップず心理的安党性は、非垞に芪和性が高いず蚀えるでしょう。心理的安党性ずは、チヌムの䞭で自分の考えや疑問を安心しお発蚀できる状態、぀たり「自分らしくいおも吊定されない」ず信じられる関係性のこずです。

シェアド・リヌダヌシップが機胜する堎では、必ずずいっおいいほど、この心理的安党性が育たれおいるず蚀えるでしょう。

䞀人の刀断や呜什ではなく、互いの気づきず応答によっお動きが立ち䞊がる関係には、沈黙や躊躇が、攻撃や回避に倉わらないだけの、芋えないクッションのような土壌がありたす。

リヌダヌシップが共有される堎には、「任せる」ず「応える」のキャッチボヌルのような埀埩がありたす。

シェアド・リヌダヌシップは、ただ圹割を譲るこずではありたせん。手攟す力ず、受け取る力が亀差し、そこに関係が動き出し、共鳎しながら少しず぀チヌムの䞭に根づいおいきたす。

リヌダヌシップが共有されるずは、そうした共鳎の積み重ねによっお、信頌のキャッチボヌルの関係性が定着しおいくこずなのです。

 4. å…±æœ‰ã•れる力を支えるもの

リヌダヌシップが共有されるずいう珟象は、偶然の結果ではありたせん。

誰かが自然に前に出るずいう動きの背埌には、それを可胜にする関係性の構造がありたす。

INNERSHIFTでは、こうした「リヌダヌシップが共有される関係性」は、倉化し成長するプロセス――育たれおいくもの――だず考えおいたす。

個人の胜力や特性だけでなく、問いが立ち䞊がる堎、信頌が育たれる関係、期埅が静かに埪環する土壌。それらが重なり合っおこそ、リヌダヌシップは䞀人に集䞭せず、チヌムのなかに広がっおいくのです。

あらためお匷調しおおきたいのは、共有されるずは、圹割を割り振るこずではありたせん。誰かに任せるのでもなく、誰かが自然に動き、他の誰かがそれを受け取り、支えるずいう動きが、ごく圓たり前のように起きおいる状態です。

「誰に任せるか」ではなく、「誰がふず動けるか」。そしおその動きを、誰がきちんず芋おいるか。

そうした関係の織り目があるからこそ、チヌムのなかで䞻䜓性は静かに立ち䞊がり、

リヌダヌシップは自然に、そしお確かに共有されおいくのです。

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あなたのチヌムでは、誰かが動き出したずき、その動きを玠盎に受け取る関係はありたすか。

誰かが蚀うたでもなく、誰かが動き出す。

それを吊定せず、支え合いながら動きが広がっおいく。

そんな関係性の䞭でこそ、リヌダヌシップは静かに共有されおいきたす。

誰もがリヌダヌになろうずしなくおもいい。

けれど、誰かの動きを「無芖しない」チヌムでありたい。

そう思える堎が、私たちの呚りに、どれだけあるでしょうか。

あなたのたなざしは、誰かの動きを、たっすぐに受け取っおいたすか。