「ああ、博士号って取れるんだ」
同じ研究科の人が博士号を取得したとき、私はそう思いました。
少し不思議な話です。
私はそのとき、すでに大学院に入って3年ほど経っていました。
博士号というものがあることも、もちろん知っていました。
それでも、自分が博士号を取得することを、現実のものとして考えてはいなかったのです。
博士号を取るために大学院へ行ったわけではなかった
そもそも、私が大学院へ進んだきっかけは、かなり軽いものでした。
知人から、修士課程への進学について相談を受けたのです。
大学院へ行くことにどんな意味があるのか。何を学べるのか。
そんな話をしているうちに、なぜか相談に乗っていた私自身が、
「自分も行ってみよう」
と思うようになりました。
そして実際には、相談してきた本人よりも、私のほうが先に願書を出していました。
だから、最初から博士号を取ろうと決めて大学院へ進んだわけではありません。
大学院に入ってからも、最初の3年ほどは、ある意味では気楽に学ぶことを楽しんでいました。
新しいことを知る。
考えたことのなかったことを考える。
仕事をしながら大学院へ通う生活そのものも、私にとっては新しい経験でした。
もちろん、その先に博士号があることは知っています。
でも、
「博士号を取るために、いま何をしなければならないのか」
と逆算して動いていたわけではありません。
感覚としては、
「いつかなんとかなるだろう」
というほうが近かったと思います。
知っている。でも、自分の現実ではない
考えてみれば、不思議です。
大学院にいて、博士号の存在も知っている。
それなのに、自分が博士号を取得する姿を、私は現実のものとして見ていませんでした。
当時、私がいた研究科では、しばらく博士号を取得する人が出ていませんでした。
制度としては存在している。
その先に博士号があることも分かっている。
でも、実際にそこへ到達する人を身近で見ていない。
私にとって博士号は、知識としては存在していても、自分の人生の中にはまだ存在していなかったのだと思います。
「ああ、博士号って取れるんだ」
その感覚を変えたのが、同じ研究科の一人でした。
その人は苦労の末に、博士号を取得しました。
私は、その姿をすぐ近くで見ることになりました。
そこで出てきたのが、
「ああ、博士号って取れるんだ」
という言葉でした。
もちろん、それまでも博士号が取得可能な学位であることくらい、頭では分かっています。
そういう意味での「取れる」ではありません。
自分と同じ研究科にいる人が、実際にそこへ到達した。
それを目の前で見たことで、それまで遠くにあったものが、突然、自分の現実の中へ入ってきたのです。
博士号は、空想の世界にあるものではなかった。
実際に登ることのできる山だった。
初めて、そう思いました。
「取るぞ」ではなく、「どうすれば取れるんだ」
ただ、ここをきれいな転機として語ると、少し違います。
その人の博士号取得を見て、
「よし、自分も博士号を取るぞ」
と決意し、そこから一直線に走り始めた。
そんな話ではありません。
私の中に生まれたのは、もっと切実な問いでした。
「どうすれば取れるんだ」
取れることは分かった。
でも、自分がどうすればそこへ到達できるのかは分からない。
それまでの「いつかなんとかなるだろう」ではなく、本当にそこへ行くとしたら、自分は何をしなければならないのか。
初めて、それを自分の問題として考えるようになりました。
問いは、すでにあった
一方で、私には、その頃すでに考え続けていたことがありました。
「リーダーシップとは何か」
これを明らかにしたい。
まだ、現在のような研究の言葉で整理できていたわけではありません。
けれど、自分が書きたいこと、追究したいことは、ある程度見えていました。
博士号を取りたいから、研究テーマを探したわけではありません。
順番は、むしろ逆でした。
自分の中には、すでに追いかけたい問いがあった。
そして、それまで自分とは距離のあった博士号が、誰かが実際にそこへ到達する姿を見たことで、初めて自分にも目指せるものになった。
その二つが、そこでつながったのだと思います。
遠くにあるものが、自分の目標になるとき
振り返ってみると、私は最初から明確な目標を決めて、そこへ向かって歩き始めたわけではありませんでした。
むしろ先に歩き始めていました。
そして歩いている途中で、それまで遠くにあった目的地が、自分の行き先として現実になった。
存在を知っていることと、
「自分にも、そこへ行けるかもしれない」
と思うことは、同じではありません。
私の場合、その境目にいたのは、一人の博士号取得者でした。
その人が実際に到達する姿を見て、博士号は、自分とは関係のない遠い存在ではなくなりました。
実際に登ることのできる山だと分かった。
そして私には、
「リーダーシップとは何か」
という、明らかにしたい問いもありました。
ただ、このときの私はまだ知りませんでした。
その山を、どうやって登ればいいのかを。
