やればやるほど、身の程を知った。|博士号取得までに知った自分の実力|INNERSHIFT

著者:Yuta Mogami, Ph.D.

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博士号が、初めて「登れる山」に見えた。

前回は、そこまでを書きました。

では、実際に登り始めたら、どうだったのか。

少しずつ力がついていった。

できることが増えていった。

自信がついて、「自分にも博士号を取れるかもしれない」と思えるようになった。

そんな話なら、分かりやすかったと思います。

でも、私の感覚は、むしろ逆でした。

やればやるほど、身の程を知った。

「どうすれば博士号を取れるんですか」

博士号が実際に取れるものだと分かった私は、教授に相談しました。

「どうすれば博士号を取れるんですか」

いま思えば、ずいぶん漠然とした質問です。

けれど、そのときの私は、本当に分からなかったのです。

博士号という山がある。

登った人もいる。

自分にも登れるかもしれない。

でも、どこから登ればいいのかが分からない。

教授は、そんな私に基礎から教えてくれました。

研究とは何か。

論文とは何か。

何を問い、どう考え、それをどう文章にするのか。

根本的な日本語の作法やロジカルな記述、研究者としての考え方。学部生ならゼミですでに知っているようなことさえ、長く仕事をしてきた私は、研究の世界では基礎から学び直さなければなりませんでした。

教えてもらえば、少しずつ分かるようになる。

普通なら、そう思うかもしれません。

私も、どこかでそう思っていたのだと思います。

ところが、実際には違いました。

学べば学ぶほど、自分がいかに分かっていないかが見えてきました。

何が分かっていないのかが、分からない

研究報告会で、自分の考えをうまくまとめられない。

何を伝えたいのか、自分でも整理しきれない。

教授から指摘を受ければ、その指摘が何を意味しているのかは分かる。

自分が何を言いたいのかも、頭の中では分かっているつもりでした。

それなのに、論文にできない。

文章にすると、考えていたものが形にならない。

構造として示すことができない。

何より苦しかったのは、

「何が分かっていないのかが分からない」

ことでした。

少しずつ身についていった、という感覚もありません。

むしろ、やればやるほど、自分に足りないものが見えてくる。

分かったと思えば、その先に、もっと分かっていないことがある。

山に登っているつもりなのに、上を見れば、自分がどれほど低いところにいるのかを思い知らされる。

プライドも、ずいぶん傷つきました。

仕事では、それなりに経験を積んできたつもりでした。

人に何かを教える仕事もしていました。

それなのに、大学院では、できない。

「これで、本当に自分は博士になれるのだろうか?」

ほぼ毎日のように考えていました。

不安をなくしてから進むことはできなかった

それでも、何かをしなければ何も変わりません。

論文を読む。

書く。

教授に見せる。

指摘される。

考え直す。

また書く。

うまくいくから続けたのではありません。

自信がついたから前へ進めたわけでもありません。

不安は、ずっとありました。

私にとって、不安を解消する方法は、とにかく何かをやることだけでした。

もちろん、やれば安心できるわけではありません。

やった結果、さらに自分の力不足を知ることもあります。

それでも、何もしなければ、もっと不安になる。

だから、また何かをする。

振り返ると、その繰り返しだったように思います。

「あとは博士論文を書くだけ」

そうしているうちに、博士号取得に必要なプロセスを、一つずつ通過していきました。

査読論文も通りました。

博士論文を提出するために必要な条件も満たしました。

「あとは博士論文を書くだけ」

そこまで来ました。

けれど、私にとっては、その「だけ」が最も大きな壁でした。

論文を一本書くことと、博士論文を書くことは、まるで違いました。

自分は何を明らかにしたのか。

なぜ、その問いなのか。

先行研究の中で、自分の研究はどこに位置するのか。

何をもって、それを明らかにしたと言えるのか。

それまで何年も研究してきたはずなのに、博士論文を書こうとすると、自分が理解できていないことが次々に現れました。

ここでもまた、

「何が分かっていないのかが分からない」

という場所に戻りました。

山は、登れる。

それは、もう知っています。

けれど実際に足を踏み入れてみると、自分の実力をはるかに超える高山でした。

息が苦しい。

逃げ出したい。

でも、ここまで登ってしまうと、降りることも怖い。

諦めなかった、という言葉では少し違う

博士論文を書き切れた理由を、

「最後まで諦めなかったから」

と言えば、きれいに聞こえます。

でも、私自身の感覚とは少し違います。

諦めなかったというより、

「諦める」という選択肢が、いつの間にかなくなっていました。

何年も大学院に通ってきた。

時間も使った。

お金も使った。

査読論文も通した。

博士論文を提出できるところまで来た。

それだけではありません。

ここでやめたら、これまでやってきたことは何だったのか。

そして何より怖かったのは、何も手にしていない、何者でもない自分に戻ってしまうように感じることでした。

ここまで来ても博士号を取れる保証はない。

それでも、ここから降りてしまえば、自分には何が残るのか。

そんな恐怖がありました。

だからといって、続ければ博士号を取れるという確信があったわけではありません。

進むのも怖い。

降りるのも怖い。

それでも、そこにいる以上、次の一歩を探すしかありませんでした。

「そこに到達すれば、景色が変わる」

そんなとき、先に博士号を取得した人たちから聞いた言葉がありました。

「そこに到達すれば、何かが変わる。景色が変わって見える」

本当にそうなのか。

私には分かりませんでした。

それでも、その言葉は残りました。

その先に、自分にはまだ見えていない何かがあるのかもしれない。

そう思わせてくれる言葉でした。

そして、もう一つ。

妻の存在がありました。

博士号を取れると確信していたのは、私よりも妻のほうだったのかもしれません。

何年かかっても、私がそこへ到達することを信じて待ってくれていました。

自分自身が、

「本当にできるのだろうか」

と思っているときにもです。

だから、足を止めるわけにはいきませんでした。

何を言われようが、まずは博士論文を書き切る。

そのことだけを考えるようになりました。

それ以外のものをできる限り捨てて、そこへ集中しました。

そして、世界まで止まった

そこへCOVIDが重なりました。

当時の私の仕事は、対面で行う研修が中心でした。

それが、突然できなくなりました。

仕事が止まりました。

売上もゼロになりました。

もちろん、それは歓迎できることではありません。

「COVIDのおかげで博士号を取れた」などとは、とても言えません。

ただ、結果として、博士論文以外の多くのものが、私の生活から一度消えました。

逃げようにも、仕事へ逃げることさえできない。

博士論文と向き合うしかない時間が生まれました。

自分でそういう環境をつくったわけではありません。

世界の状況によって、そうせざるを得なくなった。

それもまた、私が博士論文を書いていたときの現実でした。

景色は変わったのか

そして、博士論文を書き終えました。

博士号を取得しました。

あれほど遠かった山に、私は到達しました。

では、本当に景色は変わったのか。

変わったのかもしれません。

確かに、仕事も生活も、その後ずいぶん変わりました。

でも、

「博士号を取ったから、自分は変わった」

と言い切ると、少し違う気がします。

博士号を取った瞬間に、急に何かができるようになったわけではありません。

分からないことは、いまもあります。

できないこともあります。

だから、いまの私には、

「変わった」

よりも、もう少し近い言葉があります。

「変われる場所にいる」

博士号を取ったことで完成したのではない。

見える景色が変われば、また新しく分からないことが見えてくる。

いまも、これを書きながら、まさに自分を変えようとしているとも言えます。

そして私はいまも、その途中にいます。

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