私は、一つの教育プログラムを設計していました。
企業の若手社員が対話を通じて未来を構想し、新しい価値を生み出す。そのための教育です。
設計を始めた頃、私が考えていたのは、どのような内容を教えるかでした。
しかし、設計を進めるほどに、その考えは少しずつ変わっていきました。
振り返ると、私が本当に設計していたのは教育プログラムではありませんでした。
人は、どのように問いを持ち、AIと対話し、再び人間同士の対話へ戻っていくのか。その思考の循環そのものを設計しようとしていたのです。
このResearch Journalは、その考えに至るまでに私自身が観測したことを記録したものです。
私が最初に考えていたのは、「少し違う新規事業研修」でした
この研修には、新しい事業を構想するという目的がありました。
もちろん、実際に事業化することが最終目的ではありません。
未来について考え、自分たちなりの構想を描く。その過程を経験することに意味があると考えていました。
一方で、私には一つの思いがありました。
経営者が期待していた以上のものを設計したい。
革新的な事業案を必ず生み出したいという意味ではありません。
「こんな学び方があったのか」と思っていただけるような教育をつくりたい。その思いが、設計の出発点にありました。
しかし、その思いだけでは、一般的な新規事業開発研修との違いは生まれません。
私は設計を進めながら、自分自身へ問い続けていました。
「この教育でしか生まれないものは何だろう。」
私は、フレームワークを教えたくありませんでした
設計を始めて間もなく、一つの違和感を覚えました。
新規事業を考えるのであれば、マーケティングやビジネスモデル、顧客分析など、多くのフレームワークがあります。
それらを教えることもできます。
けれど、私はその方向へ進みたいとは思えませんでした。
理由は、とても単純です。
知識を得るだけなら、いまはAIへ尋ねた方が早いからです。
もちろん、知識は必要です。
しかし、教育者が知識を伝えることが価値だった時代は、静かに変わり始めているのではないでしょうか。
では、教育者は何を担うのか。
その問いは、この設計全体を通して、私の中に残り続けました。
AIを使う教育ではなく、AIと考える教育
当初から、AIを積極的に活用することは決めていました。
ところが設計を続ける中で、私はある場面を何度も想像していました。
参加者がAIへ質問する。
AIが整理された答えを返す。
その内容を発表する。
その流れを思い浮かべたとき、私は少し怖くなりました。
考えたように見えて、実はAIが考えていたという状況が起こるかもしれない。
AIは思考を支えてくれます。
しかし、支え方によっては、人間が考える時間そのものを短くしてしまう可能性もあります。
そこで私は、AIの役割を変えることにしました。
人が問いを持つ。
AIと対話する。
もう一度、人が考える。
Human → AI → Human。
この循環そのものを教育の中心に置くことにしました。
後になって気づいたことがあります。
これは、私自身が日頃AIと対話しながら考えているプロセスそのものでした。
教育を設計していたつもりが、自分自身の探究の方法を、そのまま教育へ移していたのです。
これは、今回最も驚いた発見の一つでした。
私が変えたのは、問いでした
設計の途中で、もう一つ大きな判断変更を行いました。
「顧客を考える」というテーマをやめたのです。
顧客という言葉を置くと、人の思考は自然とニーズや市場へ向かいます。
それは間違いではありません。
けれど、未来を構想する最初の問いとしては、少し早すぎるように感じました。
そこで私は、問いそのものを変えました。
「私たちは、誰に、どのような貢献をしたいのか。」
問いを変えただけです。
しかし、その瞬間から対話の質が変わりました。
市場ではなく、自分たちの存在意義から考え始めるようになったのです。
私はここでも、一つの現象を観測しました。
人は、答えによってではなく、問いによって思考が変わる。
このことは、今回の設計を通じて何度も確認したことでした。
一番迷ったのは、誰のための成果なのかということでした
設計の最後まで答えが出なかった問いがあります。
この教育は、誰にとって成功であればよいのか。
経営者でしょうか。
参加者でしょうか。
運営でしょうか。
それとも、設計者である私でしょうか。
考え続けた末に、私は一つの考えへたどり着きました。
成果物そのものではなく、思考が続いていくことを成果にしたい。
だから、研修は一日で終わりません。
会合の間にも探究を続ける。
対話を続ける。
思考を記録として蓄積する。
私が設計していたのは、教育プログラムではなく、人が考え続ける条件だったのです。
私は、教育を教えることだと思わなくなりました
この設計を通して、私自身の教育観にも変化がありました。
ただ、それは「新しい教育論を見つけた」という感覚ではありません。
むしろ、以前から漠然と感じていたことが、少しずつ言葉になってきたという感覚です。
教育者は、知識を教える人ではない。
問いを預かり、探究を支え、本人もまだ気づいていない可能性を信じながら伴走する人なのではないか。
説明を減らし、自分で調べ、自分で考えることを歓迎する。
その方が、人は主体的に学び始めるように思えます。
もちろん、これはまだ私の仮説です。
これから実践を通して確かめていかなければなりません。
今回、私が残しておきたい仮説
今回の設計を終えても、私は自分が変わったとは思っていません。
けれど、一つだけ感じ始めていることがあります。
不要な固執を一つずつ手放していくことで、同じ環境にいても、できることは変わっていくのではないか。
だから本人は、自分が変わったとは思わない。
しかし、見える世界は少しずつ変わっている。
教育も、もしかすると同じなのかもしれません。
人を変えることではなく、不要な固執を少しずつ外していくことで、本人も気づかないまま、新しい可能性が立ち現れてくる。
今回の教育設計を通して、私はその可能性を感じ始めました。
もちろん、これはまだ一つの仮説です。
これから実践を重ね、参加者との対話を通じて、本当にそう言えるのかを観測し続けたいと思います。
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