情報共有と、組織が考えることの違い
毎週、決まった時間に会議が開かれる。
各部門の責任者が資料を用意し、進捗を報告する。数字の変化が説明され、問題点が共有される。議事録には発言と決定事項が記録され、次回までの課題も整理される。
一見すると、組織はきちんと機能しているように見える。
ところが、翌週の会議でも、同じ問題が報告される。
営業部門は顧客からの要望が増えていると説明する。製造部門は納期の調整が難しくなっていると報告する。管理部門は業務負担の増加を指摘する。
それぞれの報告は正しいのかもしれない。しかし、なぜこれらの問題が同時に起きているのかについては、十分に検討されない。
会議は予定どおり終了する。
そして翌週、同じような報告が繰り返される。
ここで問いたいのは、会議が多すぎるかどうかではありません。
会議が行われていることと、組織が前に進んでいることは、同じなのでしょうか。
会議を重ねても、なぜ問題は残るのか
会議には、さまざまな目的があります。
業務上の情報を伝えること。安全上の注意事項を確認すること。部門間の予定を調整すること。複数の選択肢を比較して意思決定すること。
これらを、すべて同じ基準で評価することはできません。
例えば、安全確認の会議であれば、重要な情報が確実に伝わり、必要な行動が確認されること自体に意味があります。毎回新しい発見や方針変更が生まれる必要はありません。
一方、繰り返し発生する問題の解決を目的とした会議で、毎回同じ報告が続いているとしたら、別の問いが必要になります。
何が問題なのか。
その問題は、どこで生まれているのか。
それぞれの部門の対応は、互いにどのような影響を与えているのか。
会議の目的が問題解決であるにもかかわらず、実際には各部門の報告を聞くだけで終わっている。
その場合、会議の開催回数を増やしても、問題への理解が深まるとは限りません。
会議の時間的負担に関して、ロゲルバーグら(2006)は、会議に費やす時間への要求と従業員のウェルビーイングとの関係を検討しています。
この研究から、会議が多いほど組織の成果が低下すると単純に結論づけることはできません。
ただし、会議には参加者の時間や注意を必要とするという、見落としてはならない側面があります。
だからこそ、会議を増やすか減らすかという議論の前に、考えるべきことがあります。
その会議は、何を実現するために開かれているのでしょうか。
目的が曖昧なままでは、会議が予定どおり開催されたこと自体が、仕事を進めたという感覚を生んでしまうかもしれません。
情報を共有すれば、組織は理解できるのか
会議では、情報共有が重要だと言われます。
確かに、必要な情報が関係者に伝わらなければ、適切な判断や調整は難しくなります。
しかし、情報が共有されることと、組織として問題を理解することは、同じではありません。
例えば、ある企業で顧客への納期遅延が続いているとします。
営業部門は、顧客からの急な仕様変更が増えていることを知っています。
製造部門は、作業計画の変更が頻繁に発生していることを把握しています。
管理部門は、特定の担当者に確認業務が集中していることを認識しています。
それぞれの部門が会議で報告すれば、参加者は三つの情報を聞くことができます。
しかし、それだけでは、問題の構造を理解したことにはなりません。
仕様変更が製造計画にどう影響し、その変更が確認業務をどこに集中させているのか。
部門ごとの情報を関連づけて初めて、これまで見えていなかった問題が明らかになる可能性があります。
共有された情報と、共有されなかった情報
スタッサーとタイタス(1985)は、集団意思決定の実験研究において、参加者間ですでに共有されている情報と、一部の参加者だけが持っている情報が、討議の中で同じように扱われるとは限らないことを示しました。
この研究は、特定の条件下で行われた集団討議の実験です。一般企業の会議が必ず同じ結果になるという意味ではありません。
それでも、会議を考えるうえで重要な視点を与えてくれます。
参加者が同じ情報を繰り返し確認する一方で、特定の人だけが知っている重要な情報が十分に検討されない可能性があるということです。
さらに、ヒンズら(1997)は、集団を情報処理の主体として捉える理論的な枠組みを整理しています。
この視点に立てば、会議の役割は、単に個人が持っている情報を順番に発表することだけではありません。
集まった情報を比較し、関連づけ、矛盾を確かめ、必要に応じて問題の捉え方を変えることも含まれます。
もちろん、すべての情報共有会議に、そこまでの検討が必要なわけではありません。
しかし、複数の部門にまたがる問題を理解しようとする会議であれば、情報を並べるだけでは不十分な場合があります。
情報を持ち寄ることと、その情報を使って組織として考えることは、別の仕事なのです。
発言が多ければ、よい会議なのか
会議の活発さは、発言の多さで判断されることがあります。
全員が発言した。意見が次々に出た。議論が途切れなかった。
そうした会議には、参加者が関与しているという手応えがあります。
しかし、発言が多いことは、必ずしも問題理解が深まったことを意味しません。
例えば、ある改善会議で、参加者全員が「業務の効率化が必要だ」と発言したとします。
ある人は作業時間の短縮を提案し、別の人は資料の簡素化を求める。さらに別の人は、会議そのものを減らすべきだと主張する。
多くの意見が出ています。
けれども、そもそも何が業務を滞らせているのかについて、共通の理解が形成されていなければ、提案は互いに結びつかないかもしれません。
反対に、発言が少ない会議でも、一人の問いが議論の方向を変えることがあります。
「私たちは、作業時間が長いことを問題にしていますが、本当に問題なのは、途中で何度も判断を待たなければならないことではありませんか」
この問いによって、改善すべき対象が作業時間から意思決定の仕組みへと変わる可能性があります。
重要なのは、発言の量だけではなく、その発言によって、何が新しく見えるようになったのかということです。
ただし、発言が少なければよいという話でもありません。
特定の参加者だけが話し続け、他の参加者が持つ情報が表に出ないのであれば、集団としての判断に必要な材料が欠けるおそれがあります。
スタッサーとタイタスの研究が示す情報共有の偏りは、この点を考える補助線にもなります。
ここで私が重視したいのは、発言を増やすこと自体を目的にしないことです。
会議で必要なのは、誰が何回話したかを数えることではなく、問題を理解するために必要な情報や視点が検討されたかを確かめることではないでしょうか。
会議の進行役にも、単に発言を促す以上の役割があります。
参加者の意見を集めるだけでなく、意見の間にある違いや、まだ検討されていない前提に目を向けることです。
そのとき、会議は意見を発表する場から、問題を考える場へと変わり始めます。
決定事項が増えれば、組織は前進するのか
会議の最後には、決定事項が整理されます。
「業務手順を見直す」
「部門間の連携を強化する」
「顧客対応を改善する」
議事録には、こうした言葉が並びます。
しかし、次の会議でも同じ課題が報告されることがあります。
なぜでしょうか。
一つの可能性は、決定した内容と、実際の仕事を変えるための条件が結びついていないことです。
「部門間の連携を強化する」と決めても、何をどのように変えるのかが明確でなければ、担当者はこれまでと同じ方法で仕事を続けるかもしれません。
誰が実行するのか。
いつまでに何を行うのか。
実行するために、どのような権限や資源が必要なのか。
何を確認すれば、改善したと判断できるのか。
こうした条件が整理されて初めて、決定は実際の行動につながる可能性を持ちます。
ただし、実行が進まない理由を、担当者の意識や行動管理だけに求めることはできません。
例えば、現場で業務手順を変更する必要があるとわかっていても、その変更を承認する権限が別の部門にあり、必要な人員や予算も確保されていなければ、担当者の努力だけでは実行できない場合があります。
そのとき問題となるのは、会議の進め方だけではなく、組織の中で誰が何を判断できるのかという権限配分や、実行を支える仕組みです。
もちろん、実行が進まない原因が、常に権限や資源の不足にあるわけではありません。決定内容の曖昧さ、優先順位の違い、関係者間の調整不足など、複数の要因が考えられます。
だからこそ、決定事項が実行されなかったときには、担当者に進捗を問い続けるだけでなく、実行を妨げている条件そのものを確かめる必要があります。
また、会議の中ですべての実行条件を確定できるとは限りません。
調査や関係者との調整が必要なら、それ自体を次の行動として明確にすることにも意味があります。
もう一つ考えたいのは、そもそも何を会議で決める必要があるのかという問題です。
担当者の権限で判断できることまで、毎回全員で確認していないでしょうか。
関係者同士で直接調整できることを、定例会議まで持ち越していないでしょうか。
情報を伝えるだけで済むことを、会議の議題にしていないでしょうか。
会議の質を高める以前に、その仕事に会議という方法が本当に必要なのかを考えることも重要です。
会議を減らすこと自体が目的なのではありません。仕事の目的、判断に必要な情報、権限の所在に応じて、会議で扱うべき問題と、それ以外の方法で進められる仕事を区別するのです。
決定の先にある、組織の学習
アージリスとショーン(1978)は、組織学習を考えるうえで、行動の結果を修正することに加えて、行動を支える前提や仕組みそのものを問い直す視点を提示しています。
この考え方は、会議で決めた改善策を実行することと、問題を生み出している組織の前提を見直すことを区別する助けになります。
例えば、納期遅延が発生するたびに、各部門の報告頻度を増やすと決めたとします。
それによって情報伝達が改善する場合もあるでしょう。
しかし、遅延の背景に、仕様変更を誰が承認するのかという判断権限の曖昧さがあるなら、報告を増やすだけでは問題が残る可能性があります。
必要なのは、報告回数の追加ではなく、判断の仕組みを見直すことかもしれません。
これは、アージリスとショーンの理論を会議運営に引き寄せた、私自身の実践的な解釈です。
彼らの研究が、会議の決定事項の数と組織成果の関係を直接実証したという意味ではありません。
会議で何かを決めたことと、その決定によって仕事の仕組みが変わったことは、区別して考える必要があります。
会議は、組織の何を変える場なのか
私は、会議を一律に減らすことが、組織をよくする方法だとは考えていません。
短い会議が、必ずしもよい会議とは限りません。
時間をかけて問題を検討することが必要な場合もあれば、数分間の確認で十分な場合もあります。
重要なのは、会議の目的と、そこで実際に生まれたものが対応しているかどうかです。
情報共有を目的とする会議なら、必要な情報が適切な人に伝わり、業務上の認識がそろったか。
問題解決を目的とする会議なら、問題の原因についての理解が深まり、これまで見えていなかった関係や選択肢が明らかになったか。
意思決定を目的とする会議なら、何を判断し、誰がどのような条件で実行するのかが明確になったか。
行動調整を目的とする会議なら、関係者の仕事の進め方や役割分担が整理されたか。
そして、改善を目的とする会議なら、決定したことが実際に試され、その結果を次の判断に生かす仕組みがあるか。
このように考えると、会議の成果は、会議室の中だけで完結するものではないことがわかります。
会議で問題への理解が変わったとしても、その理解を誰が引き受け、どのような行動につなげるのかが曖昧であれば、日々の仕事は変わらないかもしれません。
判断が明確になっても、実行に必要な条件が整っていなければ、その判断は議事録の中にとどまる可能性があります。
さらに、実行した結果を確かめなければ、当初の判断が適切だったのか、何を修正する必要があるのかを学ぶことも難しくなります。
つまり、会議で生まれた理解や判断を仕事へとつなぐには、誰が引き受けるのか、どのように実行するのか、その結果から何を学ぶのかという、会議後の営みが欠かせません。
反対に、会議の中では大きな議論がなくても、必要な確認によって事故を防ぎ、業務を円滑に進められるなら、その会議には十分な意味があります。
私が約25年の教育実践の中で重視してきたのも、人々が集まって何かを話したという事実だけではなく、そこで得た気づきや問いが、その後の実践とどう結びつくかということです。
これは会議に関する実証研究の結果ではなく、私自身の実践から形成してきた視点です。
組織の会議についても、同じ問いを向けることができるのではないでしょうか。
会議が終わったとき、情報が増えただけなのか。
問題への理解が変わったのか。
判断が明確になったのか。
仕事の進め方が調整されたのか。
それとも、何も変わらないまま、次の会議を待っているのか。
会議を開催すること自体が目的になってしまえば、組織は多くの時間を使いながら、同じ場所にとどまる可能性があります。
しかし、会議の目的を明確にし、そこで生まれた理解や判断を日々の仕事へと結びつけるなら、会議は組織が前に進むための重要な仕組みになり得ます。
最後に、一つの問いを残したいと思います。
「会議が終わったとき、私たちの仕事は、会議前と何が違っているのか。」
その問いに具体的に答えられるかどうかが、会議の価値を考える出発点になるのだと思います。
参考文献
Stasser, G., & Titus, W. (1985). Pooling of Unshared Information in Group Decision Making: Biased Information Sampling During Discussion. Journal of Personality and Social Psychology, 48(6), 1467–1478.
Rogelberg, S. G., Leach, D. J., Warr, P. B., & Burnfield, J. L. (2006). “Not Another Meeting!” Are Meeting Time Demands Related to Employee Well-Being? Journal of Applied Psychology, 91(1), 86–96.
Hinsz, V. B., Tindale, R. S., & Vollrath, D. A. (1997). The Emerging Conceptualization of Groups as Information Processors. Psychological Bulletin, 121(1), 43–64.
Argyris, C., & Schön, D. A. (1978). Organizational Learning: A Theory of Action Perspective. Addison-Wesley.
Emotional Compass
https://innershift.jp/emotional-compass/
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