会議では、「客観的であること」が重視されます。
データを示す。
事実を整理する。
市場の状況を分析する。
もちろん、それらは重要です。
しかし、会議の中でこんな場面に出会うことがあります。
意見はたくさん出ている。
情報も十分に共有されている。
それなのに、なぜか誰の言葉も心に残らない。
一方で、特別なデータを持っているわけではないのに、その人が話すと耳を傾けたくなる人もいます。
その違いはどこにあるのでしょうか。
客観的な話ほど安全に見える
組織では、主観的な発言は避けられることがあります。
「感情論だと思われたくない」
「根拠がないと思われたくない」
「もっと客観的に話したほうがいい」
そう考えるのは自然なことです。
その結果、
「私はこう思う」
よりも、
「データではこうなっています」
という言葉が増えていきます。
もちろん、客観性は大切です。
しかし、それだけでは伝わらないものもあります。
人は「正しい人」を信頼するわけではない
信頼とは不思議なものです。
正しいことを言う人が、必ずしも信頼されるとは限りません。
むしろ、
「私はこう見ています」
「私はここに違和感があります」
「私はこう感じています」
と言える人に安心感を覚えることがあります。
なぜなら、その人がどこから話しているのかが見えるからです。
情報だけではなく、その人自身もそこに現れている。
だから言葉に温度が生まれるのかもしれません。
「私は」は主観ではなく立場の開示
「私は」と言うと、主観的な発言だと受け取られることがあります。
しかし、本当にそうでしょうか。
たとえば、
「この施策にはリスクがあります」
という発言と、
「私は、この施策が現場に与える影響を心配しています」
という発言は少し違います。
前者は意見です。
後者は、その意見がどこから生まれているのかも伝えています。
つまり、「私は」は単なる感情表現ではありません。
自分が何を見ているのか。
何を気にしているのか。
どこに立って話しているのか。
それを明らかにする行為でもあります。
「私は」が消えると理解は深まりにくい
会議では、多くの意見が交わされます。
賛成。
反対。
代替案。
改善案。
しかし、それらが並ぶだけでは、理解が深まらないことがあります。
なぜなら、
「なぜそう考えるのか」
が見えていないからです。
人は意見だけを理解するわけではありません。
その意見を支えている経験や価値観、見方にも触れた時に、相手を理解し始めます。
だから、「私は」が消えた会話では、情報共有は起きても、人の理解は進みにくいのかもしれません。
感情表現力とは何か
Emotional Compassでは、「感情表現力」を24特性の一つとして扱っています。
感情表現力とは、感情を大げさに表現することではありません。
思ったことを何でも口にすることでもありません。
自分が感じていることを、自分の言葉で適切に表現する力です。
嬉しい。
不安だ。
気になる。
期待している。
違和感がある。
そうした感覚を言葉にできること。
そして、その言葉に「私は」という主語を持てること。
そこに感情表現力の一つの側面があります。
信頼は「私は」から始まるのかもしれない
組織では、客観性が求められます。
それはとても大切なことです。
けれど、人と人との関係は、客観性だけで成り立っているわけではありません。
どんなデータを見ているのか。
どんな分析をしているのか。
それと同じくらい、
「私は何を見ているのか」
を伝えることも大切なのかもしれません。
人は、完璧に客観的な人を信頼するのではなく、
「私はこう見ています」
と自分の立場を明らかにできる人だからこそ、その言葉を受け取れることがあるのかもしれません。
参考記事
なぜ人は話し合うほど、「一緒に考えなくなる」のか──「私は」が消える会議 #8
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https://innershift.jp/journal
Emotional Compass
https://innershift.jp/compass-diagnosis/
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